日本ベトナム友好協会大阪府連合会/辛口・中級、ベトナム雑学講座 11



第11話 ベトナム人の汚職・犯罪を理屈っぽく考える

 久々に、この欄に書かせていただく。今回は文体を「である」調にしてみる。なお、以下の見解は友好協会の正式見解でもなんでもなく、私の個人的見解である。自衛隊幹部が侵略戦争を否定するのとちがって、このぐらいの個人的見解は、役員にも許されると信じたい。

 ベトナム航空のパイロットが盗品を運んで捕まったことが報道された。ベトナム側の研修生送り出し組織が日本の免許を取り消されたという記事もあった。少し前には日本のODAをめぐる汚職が摘発された。その前は手抜き工事で橋が落ちた。

 ベトナム人民支援に青春を燃やしたようなベテランのみなさんならずとも、「いったいなにをやってるのだ」と怒りたくなるところだ。もちろん各事案は、厳正な糾明・処罰が必要である。それにしても、ベトナムの党・政府は「消極現象とのたたかい」を一貫して強調しているのだが、それがうまくいかないどころか、ここへきて問題が続出しているのは、なぜなのだろうか。
 よく指摘される理由は、市場経済化によって生じた拝金主義と、一党独裁の弊害の2点だろう。が、ありのままのベトナムを理解しその喜びにも苦しみによりそうことのできる「ベトナムの達人」をめざすには、この2点だけでは表面的すぎて不十分だ。理解を深めるために、ここでは別の3つの問題を取り上げたい。

 第一に、市場経済化の影響は、経済発展のレベルによってちがったあらわれ方をする。ベトナムのドイモイは世界最貧国状態からスタートし、急速な経済成長に成功したが、そういう発展途上国が最初にぶつかるカベに、明らかにぶつかっているということだ。ASEANの原加盟国でも、マレーシアやタイはこのカベをすでに突破し「中進国」といってよい段階に入っているが、フィリピンとインドネシアは、1980年代から何度もこのカベに挑んでは失敗してきた。
 ベトナムは国民1人あたりGDPがフィリピン、インドネシアに迫っている。つまり、発展途上国が順調に進めばこのレベルまでは来られる、しかしここまで来ると初歩的な市場経済のしくみや技術水準の弊害が目立ってくる、これを根本的にレベルアップしないと、つぎの段階には進めない、ということだろう。

 第二に、法律や規則があればみんなそれを守るのが当然、というのは発達した近代国家の観念であって、歴史上のいろいろな国家にも、現代の発展途上国にも、あてはまらないことが多い。
 友好協会本部の会長である古田元夫教授が、ベトナムというのは「国家は弱く民は強い」国だとたびたび書かれている。東南アジア諸国はだいたいそういう伝統をもつし、ベトナムの民衆はとりわけ、戦乱や外国の侵略のなかで、国家の保護を期待できずに自分たちで身を守らねばならない、という経験をいやというほどしてきた。規則や命令に唯々諾々としたがわない国民だからこそ、あのゲリラ闘争ができたのだ、といわれれば、みなさんも納得するだろう。
 だからベトナム人は、華僑・華人と同様に、ムラやゾンホ(父方の一族)、同郷や同学のまとまりなど、あらゆるコネを駆使して生き抜くすべを身につけている。アメリカやフランスのベトナム難民、旧ソ連・東欧の社会主義国に取り残された労働者、みんなそうやって、たくましく生き延びてきた。
そういう国民性を、ホー主席と共産党(当時はベトナム労働党)や解放戦線は、民族解放のためのゲリラ闘争にまとめあげることができた。が、「それぞれ自分の才覚で食っていけ」というドイモイ体制になれば、宗教的なタブーもないベトナムで、汚職や犯罪をふくめて、めいめいがゲリラ的に食っていくことになるのは、不思議でもなんでもない。
 たぶんベトナムが上であげた「カベ」を突破して中進国・先進国に進む道は、こうした特徴をすべて殺して、日本的な「法律を守る」社会に改造することではない。そうしなければ先進国になれないという考えがまちがっていることは、イタリアという先進国を見ればわかる。

 第三は何度も書いたり話していることだが、「なぜ国家や企業がきちんとカネを出して、汚職などに走らずにすむようにできないのか」「なぜ消極現象をもっときちんと取り締まらないのか」などという意見は、完璧な「観念論」だということである。「存在が意識を規定する」という唯物論の鉄則を思い出すべきだ。
 日本でも、一般の公務員がアルバイトをしなくても食っていけるようになったのは、高度経済成長がかなり進んでからのここである。民族解放とか革命という大義があった時代はみんなガマンしたが、それがない現在、ベトナムの経済力でみんなが正規の給料で文句を言わずに働くことなど、ありえない。むしろ、この経済力でこの教育・福祉・医療などの水準が維持されていることは、驚嘆にあたいする。この面で、社会主義はみごとに生きている。
 また、国民が不満を感じるかどうかは、絶対的な経済力で決まるというより、相対的な他人との関係をどう認識するかで決まることが多い。何度も繰り返すが、ベトナム人の50倍の一人当たりGDPをもつ日本人が、「札束が服を着て歩いている」ように見えても不思議はないのだ。いまの日本で月5万とか10万で暮らしている非正規労働者は別として、ベトナムに旅行に行けるような経済力をもつふつうの日本人がベトナム人の拝金主義を批判し、日本の格差社会の悲惨さを訴えても、そう簡単に理解されるものではない。

汚職や犯罪が良いことだなどと言うつもりはない。しかし外部の人間が、解放闘争中のベトナムを実際以上に美化したり、ドイモイに勝手な夢や理想を託しておいて、今になって「社会主義を裏切る堕落だ」「解放の栄光に泥を塗った」などとベトナム人を非難するようなことは慎みたい。ベトナム人民は日本人の夢や思い出のために生きているのではない。

(2008年12月21日)

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