日本ベトナム友好協会大阪府連合会/ベトナム雑学・達人への道歴史編6



第6話 タンロン=ハノイの1000年(その6)

「ホアンジエウ通り18番地遺跡」では、おもにリー朝(1009-1225年)、チャン朝(1225-1400年)の建築遺構や遺物が注目され、保存計画もそれらを中心としたものです。 
しかし、陶磁器はややちがいます。写真1・21 都護府時代の陶磁器.JPG写真12 李陳時代の陶磁器.JPG写真2のように安南都護府の時代(9世紀ごろ)やリー朝・チャン朝の陶磁器もたくさん見つかるのですが)、むしろ、レー朝(1428-1789年)時代の陶磁器のほうが、当時の重要なものが出土しているのです。




 たとえば写真33「禁」の字の書かれた染め付け.JPG写真3の器(ピンボケですみません)には、「禁」という字が書かれています。「禁中」「禁裏」などという言葉とおなじく、「禁」は皇帝や王様以外の人間が出入りできない場所、使ってはいけない品物などをさします。
写真44 五本爪の龍を描いた染め付け.JPG写真4のほうは、5本のツメをもつ竜が描かれています。中国の皇帝の衣服などによく見られるデザインで、これも臣下には5本のツメは許されません。
これらは本来、中国皇帝だけに許されたものです。タンロンのレー朝皇帝は、これらの品物を国内で作り自分で使うことによって、自分は中国皇帝と対等な存在だと主張していたことになります。
「ホアンジエウ通り18番地遺跡」では、重ねて焼く際に失敗してくっついてしまい捨てられた陶磁器が出土していますので、宮廷内に皇帝や皇族専属の工房があって、そこで陶磁器を焼いていたことがわかります。写真3の白磁や、染め付け(青花〈せいか〉ともいう)などで、ベトナム産としては珍しい高級品が見つかっていますが、それらは皇帝・皇族専用に生産されたものでしょう。
レー朝の陶磁器でもうひとつ注目を集めたのは、写真55 15世紀の「長楽宮」付属の倉庫に収められていたと考えられる白磁.JPG写真5のように「長楽庫」と書かれた器です。レー朝の記録に長楽(チュオンラック)宮という宮殿が出てくるので、それに付属した倉庫に収められていた品物だと思われます。ということは、位置がわからなかった長楽宮も、この近くにあったことになります。16世紀のはじめ、長楽宮は皇太后が住む宮殿でした。
各時代に、陶磁器の本家である中国から輸入された高級品も、たくさん見つかります。それにまじって、写真66 17世紀日本の肥前磁器.JPG写真6のように、17世紀なかばに日本の肥前で焼かれた陶磁器(現在の佐賀県有田で生産され伊万里から輸出されたので「有田焼」「伊万里焼」などと呼ぶ)が出土したのも、注目すべき発見でした。
日本町のあったホイアンなど中部のグエン(阮)氏支配下の地域では、肥前陶磁器はすでに多数発見されているのですが、チン(鄭)氏が実権をにぎっていた北部では、これまで出土例がきわめて少なかったのです。1639年に「鎖国」したあとも、日本とトンキン(北部ベトナム)のあいだで、中国やオランダの商人による活発な貿易が続けられていたことは、多くの記録があるのですが、そこに貴重な物証がつけくわえられたわけです。
遺跡公園が完成し、タンロン皇城遺跡の出土品も一般公開されたら、みなさんもぜひ訪ねてみてください。(続く)

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