日本ベトナム友好協会大阪府連合会/ベトナム雑学・達人への道歴史編5



第5話 タンロン=ハノイの1000年(その5)

タンロン皇城遺跡のうち、前回紹介した国会議事堂建設予定地にある「ホアンジエウ通り18番地遺跡」では、リー朝(1009-1225年)、チャン朝(1225-1400年)を中心とする多数の建物(宮殿や倉庫など)があったことがわかっています。

といっても、王朝時代の建物はすべて木造で、何度も戦火で焼かれたり、老朽化して立て替えや解体がおこなわれたため、現在はまったく残っていません。残っているのは、奈良の平城宮跡などとおなじく、柱の土台にした礎石とか、柱を立てるために地面を掘り下げた穴のあとで、そこから建物の位置や規模を推測するのです。

こうした建物や道、塀、側溝、井戸などの遺構から、宮殿の建設プランがある程度復元できるはずで、日越両国の専門家が、その検討を急いでいるところです。ちなみに第4話でご紹介した敬天殿と端門のライン(中心軸)は、まっすぐ南北になっておらず、北東~東南に約5度ずれていることが明らかになっています。

B建物の基壇(A地区).JPG建物の基壇
B現在は仮の屋根をかけてある状態.JPG現在は仮の屋根が
B発掘作業の風景(A地区).JPG発掘作業の風景

いっぽう遺跡からは、レンガやタイル、瓦、陶磁器など膨大な量の遺物が出土しています。
レンガやタイルは、道やテラスに敷き詰めたことがわかっているほか、葉っぱの形で中に竜がとぐろを巻くものや想像上の鳥の形など、装飾品として屋根上などに飾られたとされるものがあります。
また、生産地や役所の名前、年号などをきざんだレンガ・タイルがあちこちの遺跡で出土していますが、ホアンジエウ通り18番遺跡でも、「大越国軍城磚」「江西軍」「大通場」など文字入りのレンガ・タイルが多数発見されています。また、動員されたチャンパー王国の捕虜ないし奴隷がきざんだらしいチャム文字入りのレンガもあります。
そうしたなかでも特に重要視されているのが、「大越国李家第三帝竜瑞太平四年造」という作成年入りのタイルです。竜瑞太平四年はリー(李)朝第3代タイントン(聖宗)皇帝の年号で、西暦1057年に当たります。
1058年に、タイントンが一連の宮殿を造営したことが記録されており、ホアンジエウ通り18番遺跡の宮殿遺構の一部(リー朝の遺構は3つの時期に分かれており、そのうちの第2期)は、1057年製のタイルなども使いながら、このとき造営されたものと見てよさそうです。
特に遺跡の「A地区」では、6本の柱が六角形にならべられた小型建築の跡が、南北に長い大型建築の西側にずらりとならんでいるという、不思議な遺構が発見されていますが、これは「霊光殿」を建て、前には六角の鐘楼をならべたという『大越史略』の記事に符合する可能性が強いと思われます。(続く)

C 1057年の年号入りタイル.JPG1057年の年号が
C李陳時代のタイル.JPG李陳時代のタイル
C装飾瓦と文字入りタイル(李陳時代).JPG装飾瓦と文字入りタイル

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