日本ベトナム友好協会大阪府連合会/なんでもベトナム・雑学エッセイ7

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なんでもベトナム雑学講座7 タイの空港占拠で思い出すこと

 先週はハノイで開かれた第3回ベトナム学国際シンポジウム(12月5-7日)という大きな会議に出かけていたのですが、タイの国際空港が占拠されていたために来られなくなった外国の学者が何人もいたようです。
 ところで、スワンナプーム、ドーンムアンなどの空港が占拠されたため、ウタパオ空港から臨時便が飛んだという報道が日本でも流れていましたね。これを見て、ベトナム戦争を思い出した年配の方はいませんか。

 当時、タイのウタパオ空軍基地は、フィリピンのクラーク空軍基地や沖縄の嘉手納基地とならぶ米空軍の重要な拠点で、ウタパオからベトナム爆撃に出撃する飛行機も多かったそうです。ちなみにタイにはプーケットなどビーチリゾートが発達していますが、その「元祖」は米兵用に開発されたパタヤ・ビーチだったといわれます。

 ベトナム戦争は、東西冷戦のなかで米ソ中などが関与しただけでなく、さまざまなかたちで日本をふくむ周辺諸国を巻き込みました。たとえば米軍得意の物量作戦や大規模爆撃は、戦場の周辺諸国や戦場とアメリカ本国を結ぶ中継点に、多数の基地がなければ実行できません。日本や韓国の経済界への「ベトナム特需」(米軍関係の注文が殺到すること)も、そのために起きたことがらでした。
さらに、国境をこえて共産勢力が浸透することをおそれたアメリカは、ドルをばらまきながら周辺諸国の反共政権をテコ入れし(そのために大いに役立ったのが日本の経済進出や開発援助)、各国の社会に矛盾をひろげました。

 しかも東南アジアは地形や国境線、民族構成が複雑です。ベトナム解放勢力はラオス、カンボジア国境の密林地帯を利用して巧妙な戦いをくりひろげたのですが、そのことはラオス、カンボジア両国を全面的に戦争に巻き込む結果になりました。巻き込まれた側の悲劇の象徴が、ポル・ポト派によるカンボジア大虐殺です。

 しかしタイで、今日までつづくタイの民主化運動の源流となるベトナム反戦運動・学生運動が広がり、米日の援助を利用しながら力をつけたASEAN諸国の支配層もベトナム戦争後には自主路線を強めるなど、周辺諸国は戦争に振り回されるばかりではありませんでした。ベトナム人民のしぶとい闘いだけでなく、周辺諸国の動きも含めて、このしたたかさが、東南アジア現代史の重要なテーマなのです。

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