日本ベトナム友好協会大阪府連合会/ベトナムの基礎知識6

 

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第6話 ドイモイ(刷新)

 ベトナムは20年前からドイモイ(刷新)と呼ばれる大改革を進めてきました。現在のベトナム旅行や企業進出のブーム、来日する留学生や労働者の増加など、すべての背景にドイモイがあります。では、ドイモイとはなんでしょう。

①1970年代末に世界の「最貧国群」のひとつに転落したベトナムは、ソ連型社会主義経済(注1)の改革を模索し、農民の生産意欲が出ない「集団農業」を、家族単位の「請負制」(注2)に変えるなどの実験を開始した。

(注1)改革派からは「国家丸抱え(親方赤旗)」のニュアンスで「バオカップ」体制と呼ばれた。
(注2)農民が、一定ラインをこえた生産物は「自由市場」で(つまり自由価格で)販売できるようにしたことなどで、生産は活性化したが、それはインフレや、人為的な低価格と配給制の恩恵を受けていた都市住民の生活難などにつながり、保守派との論争が激化した。

②ソ連(当時)のペレストロイカ、中国の改革開放政策などが追い風となって、1986年の第6回共産党大会で改革派のグエン・ヴァン・リンが最高権力者である党書記長に選出され、「経済についての思考のドイモイ」を中心とする改革が正式に決定された。
 88年ごろから具体的な諸分野の改革が本格化し経済も活性化、一挙に多党制を求める意見は排除されたが、92年制定の現行憲法によって、一党制のもとでの市場経済化、全方位外交などの路線が確定した。

③ドイモイ路線とそれによるカンボジア問題の解決(注3)のおかげで、ベトナムはソ連崩壊の打撃を乗り切ることができ、中国や日本との関係改善、95年のASEAN(東南アジア諸国連合)加盟、対米国交正常化などで国際社会への参入を果たした。2006年にハノイでAPEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会議を開催し、07年にWTO(世界貿易機関)に加盟、08年には国連安全保障理事会の非常任理事国となるなど、最近も世界での存在感を増している。

(注3)親越政権を支えポル・ポト派残党などと戦うためにカンボジアに駐留していたベトナム軍は89年に撤兵をおえ、91年には対立するカンボジア各派がパリ和平協定に調印して、93年に新生カンボジア王国が誕生した。

④経済面の新しいしくみは、「社会主義を志向し国家管理のある多セクター商品経済(市場経済)」と表現される。農村・都市とも土地の所有権は国家が維持するが、使用権(売買もできる)が家族単位で配分され、「集団農業」は解体した。商工業やサービス業では、国営企業、集団所有企業以外に家族経営、資本主義経営、外資系企業もすべて活動が認められ、輸出加工区(工業団地)などへの外国企業の進出も相次いだ。
 これらの効果で90年代から経済成長が続き輸出も急増(注4)、現在では2020年までに先進工業国の仲間入りを目ざしている。

(注4)南シナ海の海底油田から出る石油が輸出額の第1位で、ほかに繊維製品、海産物(養殖エビやカニ、イカなど)、コメ(世界2位)、コーヒー(世界2位)、コショウ(世界1位)などがよく知られた輸出品である。

⑤一党制の枠内ではあるが、民主化、法制度の整備、言論・マスコミの活性化、教育改革などの努力も重ねられている。まだ残る言論統制、汚職や腐敗、貧富の差の拡大(注5)、環境汚染などさまざまな問題をかかえながら、現在のベトナムは、「富民強国」「秩序があり民主的で公平・文明的な社会」をめざして奮闘している。

(注5)全体の経済成長と政府の「飢えをなくし貧困を減らす運動」の結果、貧困家庭は2007年には15%弱まで減少している。

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3チャンニャントン通りのクアンチュン中学に併設された英語学校の広告.JPGチャン・ニャントン通り

 

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