日本ベトナム友好協会大阪府連合会/ベトナムの基礎知識4

 

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第4話 ベトナム戦争(2):全土解放

①第二次世界大戦で使用された砲爆弾の総量を上回る砲爆弾を日本より狭いベトナムに投下したアメリカの物量戦に対し、南部の解放戦線と北ベトナムは膨大な犠牲者を出したが、社会主義国などの国際援助に支えられながら粘り強く抵抗した。
 
②「自由の国」として絶対の自信をもつアメリカが報道を自由にさせた結果、アメリカが「勝っていない」「あせって多くの蛮行を働いている」ことが世界に報道され、当時活発化していた学生運動などとも結びつきながら、ベトナム反戦運動が世界で爆発、日本政府など少数の例外をのぞき、西側諸国にもアメリカを批判するムードがひろがった。68年の解放側の奇襲攻撃「テト攻勢」のショックもあり、アメリカはパリでの和平交渉に追い込まれた。
 
③戦争をベトナム人にまかせて手を引くことを公約して大統領選挙に当選した米のニクソンは、米軍がいなくても南ベトナムが倒れないように、(あ)解放勢力が隠れ家や通路にしているカンボジア(中立国)でクーデタをおこさせ親米政権を立てる、
(い)ソ連との「中ソ対立」を深めていた毛沢東と交渉し「米中和解」を果たして中国のベトナム支援を減らさせる、などいろいろ手をうってから、73年1月にパリ和平協定を結んで撤退した。
 
④しかし、追放されたカンボジアのシハヌーク元首が共産勢力(親ベトナム派にかわり、親中・反越のクメール・ルージュが勢力を拡大)と結ぶなどで、カンボジアに戦火がひろがり、ラオスでも以前から断続的におこなわれていた内戦はやまなかった。75年4月17日にカンボジアの首都プノンペン、30日に南ベトナムのサイゴンがあいつぎ陥落、12月にはラオスでも国王が退位して、インドシナ3国の親米政権は総崩れとなった。
かわって民主カンプチア、ベトナム社会主義共和国、ラオス人民民主共和国の3つの社会主義国家が成立した。
 
 毎年4月30日がベトナムの祝日で、日本でも友好協会がその前後に「解放記念のつどい」を開くのは、この日が「南部解放(全土完全解放)」の記念日だからです。
 
(続く)
 

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