日本ベトナム友好協会大阪府連合会/ベトナムの基礎知識3

 

第3話 ベトナム戦争(1):戦争への道

 ベトナムに関心をもつきっかけというと、1960~70年代にはベトナム戦争に決まっていましたし、いまの若い世代でも、アメリカ映画や、復刻された戦争当時のルポ、枯葉剤被害者の情報などから、ベトナム戦争に関心をもつ方が多いですね。ではあの戦争はなんだったのでしょう。
「戦争オタク」風のWikipediaとはちがったまとめ方をしますので、第2話の「歴史」とあわせてお読み下さい。
 
①20世紀のベトナムではいろいろな民族運動・独立運動がおこったが、フランスは「抱き込む」「利用する」智恵がなく弾圧一点張りだったので、かえってホー・チ・ミンの創設したインドシナ共産党が唯一の運動の担い手になってしまった。
第二次世界大戦中には、ホー・チ・ミンのひきいる独立運動組織ベトミン(中心はインドシナ共産党)が、抗日地下活動を通じて勢力を広げた。
 
②日本の降伏直後にホー・チ・ミンが独立宣言をおこない、1946年に開始されたフランスとの独立戦争(第一次インドシナ戦争)も、中国に毛沢東の中華人民共和国が成立すると(1949年)、その支援によってベトミン側がしだいに優勢になった。
 苦しくなったフランスは、「植民地を維持する戦争」を「共産主義との対決」にすりかえ、アメリカの軍事援助をえたが効果は薄く、1954年にディエンビエンフーで大敗北を喫し、同年のジュネーブ協定で撤退に追い込まれた(注1)。
 

(注1)第2回でもふれた通り、当時の「米ソ雪解け」ムードのなかでおこなわれた米英中ソの談合により、2年後に統一総選挙をするという空約束(ジュネーブ協定本文でなく付属の「最終宣言」。しかも米とフランスが先に立てていた「ベトナム国」はこれを承認しない)とひきかえに、ベトナムは北緯17度線で南北に分割されてしまった。

③アメリカは「にっくき共産中国の手先」である北ベトナムを押さえ込むため、親仏派のベトナム国にかえてゴー・ディン・ジエムにベトナム共和国を立てさせ、南北統一総選挙は無視された。
 しかしジエムの独裁政権への反政府運動が高まり、60年には南ベトナム解放民族戦線ができて内戦状態になった。アメリカの「軍事顧問」が指揮しアメリカが援助した武器で南ベトナム政府が解放戦線を鎮圧しようとした「特殊戦争」も成功せず、米(J.F.ケネディ政権)に見限られたジエムは63年にクーデタで殺されたが、南ベトナム政府はますます混乱した。
 
④たまりかねたアメリカ(暗殺されたケネディに代わったジョンソン政権)は、1964年に公海上の米艦艇が北ベトナムに攻撃されたというトンキン湾事件をでっちあげ、北ベトナム爆撃を開始した(北爆)。ついで65年には地上部隊を南ベトナムに派兵(注2)、解放戦線や、密林をぬう「ホーチミン・ルート」を使ってこれを支援する北ベトナム人民軍と直接戦った。
 通常、65年以降を「ベトナム戦争」と呼ぶ。米軍は周辺の同盟国を巻き込みながら、お得意の物量作戦を展開した(注3)。
 

(注2)最高時には54万の米軍と、同盟国である韓国、オーストラリア、ニュージーランド、フィリピン、タイの軍隊が南ベトナムに駐屯し、米軍以外に、日ごろ北朝鮮とにらみあっているため反共意識に燃える韓国軍も、「勇猛に」戦った。
(注3)フィリピン、タイ、日本(72年まで米軍占領下にあった沖縄だけでなく本土の基地も)などの基地もフル稼働させ、日本などで大量の物資を調達した(ベトナム特需)。

(続く)

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