日本ベトナム友好協会大阪府連合会/ベトナムの基礎知識2

 

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第2話 歴史

 ベトナム人は「ベトナム民族4000年の歴史」などといって、歴史をとても大切にします。各論の最初はまず、歴史をおさえておきましょう。

①キン族の祖先はもともと、北部・北中部の平野部に居住し、紀元前の終わりごろにはドンソン文化とよばれる金属器文化が発達して、国家形成が始まった。ところが、紀元前後に中国に征服され、漢字など中国文化を受容した。10世紀にようやく独立し、19世紀まで独立王朝時代がつづいた(注1)。
 独立王朝時代には、中国の再侵略をすべて撃退するいっぽうで、15世紀以後に大規模な南進を実現した。これによって、中部にあったチャンパー(チャム族が中心の国家でインド文化を取り入れた)を滅亡させ、カンボジア領だった南部も奪って、19世紀までに現在の領土がほぼ成立した。

(注1)王朝時代の国名はほぼ一貫して「大越」、都はタンロン(現在のハノイ)に置かれたが、最後の王朝グエン〈阮〉朝(1802-1945)は中部のフエに都を置き、国名を越南(Việt Nam)とした。これが「ベトナム」の名のおこりである。中国など東アジアではベトナムを「安南」と呼ぶことが多かった。

②しかし19世紀後半にフランスの侵略を受けて植民地とされた(注2)。第二次世界大戦直後にホー・チ・ミンがベトナム民主共和国の独立を宣言したが(注3)、これを認めないフランスと独立戦争となる(第一次インドシナ戦争)。敗れたフランスは1954年のジュネーブ協定で撤退したが、ジュネーブでの米英ソ中の談合により、ベトナムは北緯17度線で「暫定的に」南北に分断された。

(注2)フランスはカンボジア・ラオスも植民地として、全体を「フランス領インドシナ連邦」とよび、ハノイに総督府を置いた。ベトナムのグエン(阮)朝は、フランスのかいらい政権(保護国)として名目的に存続させられた。
(注3)ホー・チ・ミンのひきいる「ベトミン」が1945年8月19日に全土で蜂起し、9月2日に独立を宣言した。これを「8月革命」とよび、9月2日が現在も独立記念日(ナショナル・デー)とされている。

③アメリカは南部にベトナム共和国(南ベトナム)を建て、南北統一総選挙を拒否させて、社会主義化を進める民主共和国(北ベトナム)に対抗させたが、1960年に北の支援を受けた南ベトナム解放民族戦線が成立してゲリラ戦を開始、困ったアメリカは65年から直接介入したが(ベトナム戦争)、戦争に勝てず世界の非難も浴びたため、73年にパリ和平協定を結び撤退した。
 75年4月30日には北ベトナム・解放戦線によって南ベトナムの首都サイゴンが解放され、翌年南北が正式に統一されて、ベトナム社会主義共和国が発足した。

④南北統一後のベトナムはカンボジア・中国と対立し、ソ連に頼りつつ南部の社会主義化を強行したが、これが難民の大流出をまねいた。
 79年にカンボジアに侵攻してポル・ポト政権を追放したが、これに怒った中国が北部に侵攻(中越戦争)、国際的に孤立したベトナムは経済的にもどん底の状態におちいった。
 そこで、86年の第6回共産党大会でドイモイ(刷新)を決議し、市場経済化と全方位外交をめざした。

 90年代には共産党の一党制を維持しつつドイモイを本格化させ(92年に現行憲法制定)、95年にASEAN(東南アジア諸国連合)加盟と対米国交正常化を実現、97年のアジア通貨・金融危機後も順調な経済成長を続け、現在は2020年までに先進工業国の仲間入りすることをめざしている。

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