日本ベトナム友好協会大阪府連合会/ベトナムの基礎知識14

 

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第14話 ベトナム人の日本留学

 日越交流の話題にあわせて、留学の話を、これも2回に分けて紹介しておきましょう。留学を希望される方は、よく読んでくださいね。

①日露戦争(1904-05年)で日本が勝ったのを見て「黄色人種でも近代化して白人を追い払うことができるのだ」と感動したアジアの人々のなかに、ベトナムのファン・ボイ・チャウがいた。かれは自分で来日してアジアの志士たちと交わるかたわら、ドンズー(東遊)運動を組織して、200人以上のベトナムの青年を日本に留学させ、独立の担い手として育てようとした。日本の民間でも、これに協力しようとする大隈重信らの「アジア主義者」たちがいた。しかしフランスは日本に圧力をかけ、ヨーロッパを崇拝して「脱亜入欧」路線をとる日本政府は、これに応じてベトナムの留学生たちを追放した。

②アジア・太平洋戦争中には、日本軍支配下の東南アジア諸国から「南方特別留学生」が招かれた。その一人だったベトナム人ルオン・ディン・クア博士と結婚しベトナムに渡った中村信子さんは、75年のサイゴン解放を日本向け短波放送(ベトナムの声放送)で伝えた。日本の敗戦後、留学生の多くは帰国したが、一部は日本に住みついた。

③戦後の日本は、戦争賠償の一環として東南アジアの留学生を受け入れたりしていたが、ベトナム戦争中には日本と国交のあった南ベトナムから、「戦争をのがれようとする有力者の子ども」なども含め、おおぜいの留学生が来日し、その一部は南ベトナム政府の意に反して、反政府運動をおこなった。南北統一後も、日本で職をえた人や南政府支持で帰国できなくなった人など、日本に居残った人も少なくなかった。かつて大阪で働きながら府連の活動にさまざまな協力をしてくれた故ファン・ドゥク・ロイさんは、ダナン出身の元ベトナム留学生であった。

④ドイモイによって日越関係が好転した90年代から、ベトナムの留学生が急増した。ベトナムも発展途上国なので、科学技術と経済を学ぶ留学生が圧倒的に多いが、なかには奈良女子大で江戸時代の仏教を研究して博士号を取ったファム・ティ・トゥー・ザンさん(府連でたびたび通訳をしてくれたザンちゃん。現ハノイ国家大学日本学科教員)など、文化や歴史の専門家も出てきつつある。大使館・総領事館のきもいりで、各地に「留学生会」「青年学生協会」が作られているのも、最近の特徴である。

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