日本ベトナム友好協会大阪府連合会/ベトナムの基礎知識12

 

 国際交流には、自国との関係を知ることが必要ですね。今度は、日本とベトナムの関係について、古代にさかのぼって紹介します。

第12話 江戸時代までの日本との関係
 

①「天の原 ふりさけみれば 春日なる」の歌を作った奈良時代の阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)は、唐の玄宗皇帝につかえ、一時北部ベトナムの長官(安南節度使)に任命された。ハノイのホーチミン廟近くで発見されたタンロン皇城遺跡群の、いちばん下の層はその時期の宮殿跡ではないかとも言われている。また奈良時代の貴族平群広成(へぐりのひろなり)は、遣唐使の船がベトナム中部に漂着して、チャンパ王に面会した。
 
②奈良時代に伝えられ、大仏開眼の法会でも演じられた雅楽「林邑楽」(現在も演じられる)は、インドのものともチャンパのものとも言われる。正倉院には、おそらく中国経由で輸入されたベトナム産の沈香(じんこう=香木)「蘭奢待らんじゃたい」が保存されている。

③平安時代以降、中国経由の東南アジア貿易はしだいに発展し、室町時代には琉球王国の船などが直接の貿易もおこなう。そのなかでベトナム北部(チューダウ窯など)やチャンパ(ゴーサイン窯など)の陶磁器が、14~17世紀にさかんに日本に運ばれる(注1)。
 

(注1)沖縄・九州各地のほか、堺市の「堺環濠遺跡」でたくさん出土している。

④16世紀には「倭寇」が東南アジアまでさかんに渡航したと考えられる。そのルートを利用して、江戸時代初期に台湾・東南アジア各地と貿易をおこなった「御朱印船」(幕府が渡航許可証を与えた船)の渡航許可証発給件数で見ると、分裂中のベトナムの中南部(コーチシナ、広南)が1位、北部(トンキン)が4位で、日本の銀・銅とベトナムの生糸・絹織物(一部は中国産)、黒砂糖や鹿皮、鮫皮などを貿易していた。中部のホイアンには日本町ができた。1639年に日本が鎖国したのちも、中国人やオランダ人の手で大規模な貿易が続けられ、ベトナム側は伊万里焼の陶磁器などを輸入した。18世紀には貿易は衰退し、やがて直接貿易は消滅したが、長崎の唐通事(中国語通訳)の配下には、幕末まで「安南通事」(ベトナム語の通訳)が存在した。
 

ホイアンの「日本橋」.jpgホイアンの「日本橋」

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